ただの物置き

USGが好きな2次元のオタクがよく喋るだけ

ユニゾンのラブソングは綺麗だと思う

タイトルのまんま。

UNISON SQUARE GARDENのアルバムには大体ラブソングが入ってる。あまり数は多くないかもしれないし、これはラブソングと言っていいのかどうなのか……って曲も結構あるけれど。とは言っても世間一般にラブソングと認識されるであろう曲が一定数はある。

それらの曲を聴いて、歌詞を読んで、私がよく思うのはこの人達のラブソングは凄く綺麗だなぁということ。

田淵の曲だけじゃない。ギターボーカル斎藤さんが作った「スカースデイル」「三日月の夜の真ん中」

この2曲も個人的にはラブソングだと思ってるのだけど、この2つの曲に対しても田淵が書いたラブソングと同じように、綺麗だなぁと感じる。

というか、2人が書く曲は確かに違うんだけど、なんとなくの雰囲気とか言葉選びとかが似ているような気がする。やっぱり長年ずっと一緒に音楽をやってると感覚が似てくるものなのか、それともその辺の感覚が似てるからこそ長年一緒に音楽をやってきてるのか……。

 

少し話が逸れた。

 

 とにかく、ユニゾンのラブソングは綺麗だという話。

綺麗だと少し抽象的過ぎるのでもう少しわかりやすく?言うと、現実味が薄い。全然悪い意味じゃないよ。そしてすごくピュア。童貞っぽいって言葉も一瞬浮かんだけどそれは言わないでおこう。

なんとなく、邦ロックの恋愛モノに多い生々しさが少ないような気がする。生々しさってのも全然悪い意味じゃないよ。私はどっちも好きです。

 

以前読んだとあるブログがこんな題名だった。

RADWIMPSの歌詞は恋愛でベロベロに酔っぱらった状態で書かれているからすごい」

 この表現を借りるなら、ユニゾンのラブソングは恋愛に酔っていない状態で書かれている、と思う。完全に素面。

永遠の愛を誓う「未完成デイジー」だって、「いつか僕は死んじゃうけど それまで君を守るよなのだ。自分が死んだあとの保証は無し。死んだあとも化けて出てこようみたいな気概や来世でも一緒だよみたいな話は一切なし。

 

どうしてかって答えはインタビューとかで結構出てる気がするけれど、作詞と歌を別々のメンバーが担当してるっていうのは大きいのではないかな。田淵が歌詞を書く時は基本的に斎藤が歌うことを念頭に置いているようだけどラブソングの場合はそれが特に顕著に表れている気がするのだ。自分自身の恋愛観や経験を乗せるよりも斎藤が歌うラブソングとして良いものになるようにという視線で作っているように感じる。この辺りは田淵自身の作詞観や恋愛観のせいもあるのだろうが。

 

そういえば手を握るっていう行為が目立つ気がしますね。彼らが作るラブソングには。手というワードをよく見かけるのはラブソングに限った話でもない気もするけど。

「手を繋いでみよう 触れ合うとこだけもらっていこう」(MR.アンディ)

「繋いだ手はもう離さないから」(Miss.サンディ)

「テイクミーアウト!照れながら手を握ったら」(10% roll,10% romance)

「握りしめた君の手を 僕は離さない」(スカースデイル)

などなど。

 

最終的に何が言いたいのかよくわからない文章になってしまった。彼らの奏でるラブソングは片想い中の、または失恋中の貴方の気持ちにドンピシャとかいう類のものではあまりない気もするけど綺麗な恋の多幸感みたいなものは感じられると思う。

とにかく、私はすきです。このバンドのラブソング。